「今回は違う」と思ったら、それが合図

この一文は相場の観察ではなく、自分の規則が曲がるときに鳴る音。中身ではなく出てきた時刻を見る理由と、例外を名詞で答えさせる二つの質問。

勝ちが三つ続いた後の、四本目の取引である。チェックリストの項目が一つ埋まらない。いつも通りなら、ここは見送りで終わる。それなのに注文の画面を開いたままにしている。頭の中に浮かぶ文は、いつも同じ形をしている——「ここは、今回は違う」。

この文が出た時点で、何が起きているのか。

それは相場の話をしていない

「今回は違う」は、すでに持っている規則にしか付かない。規則のないところに例外は生まれないからだ。初めて見る銘柄について、この文は出てこない。出てくるのは、いつも通りなら何をするかが決まっているときだけ。つまりこの一文は、相場の観察ではなく、規則が曲がるときに鳴る音である。検出器としては、かなり精度が高い。

厄介なのは、主張の中身としては正しいことだ。相場は毎回違う。同じ形は二度と来ない。だから「今回は違う」という命題は、いつ言っても真になる。いつでも真になる文は、何も区別しない。区別しない文は、情報を持たない。

見るべきは中身ではなく、その文が出てきた時刻のほうだ。もし違いが本物の情報なら、チェックリストを作った時点で項目になっていたはずだ。項目が埋まらない場面に来て初めて見えたものの正体は、たいてい情報ではない。増えたのは材料ではなく、直前の勝ちの数のほうである。

名詞で答えさせる

「今回は違う」の後に、必ず「何が」を続ける規則にする。答えは名詞でなければならない。「上位足の直近安値をまだ割っていない」は名詞。「なんとなく強い」は名詞ではない。名詞が出てこないなら、そこで終わり。この一段だけで、例外の大半は消える。

名詞が出たなら、それを否定形にして読み直す。「上位足の直近安値をまだ割っていない」が入る理由になるなら、割ったときは入らない、という規則が同時に立っていなければならない。立たないなら、その名詞は理由ではなく飾りだ。どちらに転んでも結論が変わらない材料は、材料ではない。

例外そのものを禁じる必要はない。禁じるべきは、当日つくる例外だ。「この条件ならチェックリストの項目を一つ飛ばす」を平常時に定義してあるなら、それは例外ではなく規則の一部になっている。事前に書かれた例外は手続きで、その場で生まれた例外だけが、規則を壊す。

「今回は違う」は判断ではない。判断を止めるために出てくる文だ。だから記録に残す値打ちがあるのは、その後に何をしたかではなく、その文が何本目の取引で浮かんだかのほうだ。並べて眺めれば、自分の規則がどこで緩むかが見えてくる。

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※ この記事は情報提供および学習を目的としたもので、投資助言・勧誘ではありません。取引の判断はご自身の責任でお願いします。

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